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闇の箱

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□ 『研修』 □

『研修』 03 プライス

――――No person shall be held in enslavement, serfdom or bondage of any kind. Involuntary servitude, except as a punishment for crime, is prohibited. 上記の文は、GHQによる憲法草案の一節である。和訳せよ。

“えと…誰も…hold inされない。enslave、mentだから…奴隷、制度かな。serdom…ちょっと次…。何の種類のbondage…bondage、ボンデージって拘束だったっけ…。憲法なのよね…これ…だぶん基本的人権だと思うんだけど…。次は…不本意な…servitudeって知らないわ…。except as…罪による罰以外は、禁止する。全部は解らないけど、とにかく書けるとこだけ書いておこう…”


――――鎌倉時代の日記文学『A』は、[B](後深草院二条。以下、二条)の前半部は、宮中での男性遍歴などを描いている。4歳で母を亡くし、母の愛人であった後深草院の元で養育された二条は、[C]歳になったとき、後深草院に抱かれ、後宮に召し上げられた。二条には他に想い人があり、後深草院の皇子を懐妊しながらも関係を続けていたが、その他にも多くの男性と契りを交わしていく。また『A』は、史実に基づくものだが、『源氏物語』の影響を少なからず受けている。『源氏物語』では、光源氏が義母の面影をもつ若紫を引き取って養育し、後に妻とするが、二条と後深草院の関係はそれを彷彿とさせる。また、若紫が光源氏に抱かれたのも、[C]歳であるとされる。

“Aは『とはずがたり』でしょ。Bは…中院…大納言、久我雅忠の娘…娘じゃなくて女って書かなくちゃ。Cは、14歳。これを習った中二の時、同い年なんだと教室で大騒ぎしたんだから…”

 あかねは、中学生の頃を思い出し、しばし感慨にひたった。友達との絶えることのないおしゃべり、女子校のみんなで憧れた初恋、和歌のなかに艶めいた意味を見出すだけで、声を潜めて語り合った。それら全てが懐かしく、また遠い過去になってしまったことを、あかねは哀しく思った。

 あかねの試験は続いていた。




 あかねがこの施設に来てから、2週間が過ぎようとしていた。とりあえず1ヶ月と聞いているから、ようやく半分が終わったことになる。
 この施設に来てから、あかねは毎日、試験を受けていた。午前中は、いつもペーパーテスト。午後は習い事の腕前であったり、スポーツなど、身体を動かすものが中心になっていた。
 ペーパーテストの内容は、あかねが学校で受けたことのあるどんな試験とも違っていた。強いて言うならば、現代文、古文、英語、歴史、公民など、理数系よりも文系の内容が多かった。しかし、なかには学校で習うはずもない細かいところまで問うてきた問題も多かった。他校の友達が居る訳ではないから確かめたことはないが、あかねの学校は小学校から一貫教育で、勉強は難しいと言われている。しかし、習ったことのない事柄についての問題も多く出た。幼い頃から両親に伴われて行っていた観劇や、習い事で続けていたピアノ、好きで読んでいた小説などの知識を総動員しなければ解けないものが多かった。
 
 なぜ、売られてきた自分が、このような問題を解いているのか、あかねは疑問に思っていた。自分はこの先どうなるのか。何をさせられるのか。想像するだに恐ろしく、また想像できるほどに知識もなかった。けれども、モノのように売り買いされる自分が、人間扱いされないだろうということは予感していた。それなのに、このように教養を試される試験を課されている意味が、あかねには推し測りかねた。解るはずもなかった。


 あかねが受けている試験は、全般的な教養を問うものであった。現代の日本で言われている一般教養、常識問題や雑学のレベルに留まるものではない。真に深い教養が身についているかを、多方面に渡って精査していくものであった。

 奴隷に教養は必要か。

 これには賛否両論があるだろう。奴隷に知恵などいらぬ。賢しい知恵を身に付け、主人に反抗するなど以ての外。自由や権利を知り、それを要求するようになってしまっては扱いづらい。ものを考えずにただ従順に主人の命に従うのが、いい奴隷である。それは聖書の時代、古代エジプトからも通じる考えである。
 しかしこれは、奴隷を多く従えた権力者の声でもある。非力な存在であっても、集結すれば大きな力となる。ましてや土木工事などに力を振るう頑強な奴隷が決起したなら、これほど危険なことはない。それを警戒して、奴隷に知恵などいらぬと言われる。

 しかし、その頃の奴隷と、今ここで話に挙がっている奴隷とでは、何もかもが異なっている。
 まず奴隷の多くが、非力な女性であること。奴隷の主人となるのは圧倒的に男が多いためである。まれに女性の飼い主や、稚児趣味に供される男の奴隷もいたが、それは精通を迎えたばかりの少年であることが多かった。そして、思春期を終えると捨てられてしまうことも多く、物理的な脅威にはなりようがない肉体ばかりであった。
 そして、団結しようとしても、数が集まることがそもそもない。飼い主が奴隷を所有する数は、ひとりからせいぜい5人ほどまでが一般的なところである。もちろん十人を超える奴隷を所有する者も稀にいたが、それは特に財力や精力を兼ね備えているごく一部の人間に限られていたし、それだけの警備や設備を備えていることは必然であった。
 そして、飼い主同士の交流パーティがあっても、奴隷同士が話をする時間などあるはずもない。共謀して反抗するという可能性は、ほぼ摘み取られていた。

 もちろん例外はある。十年ほど前に、南方に住む男が、陸上をやっていた女子学生を気に入り、捕獲して強引に奴隷に列したことがあった。だが、スポーツで鍛えた彼女の不屈の精神力は、諦めることをよしとせず、自らの身に起きた災難を受け入れることができなかった。彼女は機を見て、同じ主人の奴隷を先導して、脱走を企てた。
 しかしその屋敷は、個人所有の小島にあったため、何処へも逃げることも助けを求めることも出来なかった。あえなく捕らえられた奴隷たち、特にその少女には、厳しい処罰が下された。二度と逃げられないように、両足の腱を断たれたのだそうだ。彼女の闘志は裏目に出て、彼女は生涯走ることのできない身体になった。
 余談になるが、この処罰については詳しい話が伝わっている。
 はじめ、この主人は、足とついでに腕もそのまま切断してしまい、トルソにしようかと考えていたそうである。切断した鍛えられた足は剥製にして、彼女のことを抱く部屋の飾りにしようかと提案したそうだ。だが、それを聞いた彼女は、泣き喚いて暴れ、その場で舌を噛もうとした。慌てた主人は、彼女に麻酔を掛け、眠らせざるをえなかった。
 そうして彼女が眠っている間に、手術は済まされた。目覚めたとき、彼女の両足はちゃんとあった。ちゃんと動いた。けれども、一人で立つことはできなくなっていた。もちろん、走ることなどできようはずもなかった。
 足は残ったが、彼女は絶望に暮れた。しばらくは再び自殺を図るのを警戒されていたが、足を失った少女からは、暴れる気力も舌を噛む気概も失せていた。その後は従順に主人に従い、奉仕するようになったという。
 さらに話は続く。やがて彼女は、足を切断して欲しいと、自分から言い出し、懇願したという。杖なしでは歩くことも出来なくなった彼女の足は、次第に衰えていった。陸上選手として鍛えた自分の足から筋肉が失われ、やせ細っていくのをなんとか止めようと、毎晩泣きながら撫でていたという。見るも忍びなくなった頃、彼女の足は切断された。それと同時に、彼女に興味を失った主人は、肉体改造奴隷専門の市場へ売却した。その後の彼女の行方は、誰にもわからない。
 
 奴隷の境遇から逃れようとした反抗は、無駄に終わり、さらに悪い方向へと舵を切ることになった。主人である男も、奴隷となった少女も、誰もこんな結末は望んではいなかった。そのような出来事から、奴隷は従順に従うのが一番であり、従わせることがまず第一であるという飼い主もいる。

 要は、奴隷に何を求めるのか、ということである。性的な欲求を満たすために、その躯の全てを使って奉仕させるだけならば、教養は必要ない。背徳的な行為や、排泄物の扱いなど、特殊な奉仕の際に抵抗を感じる元となる倫理観や教養を持ちすぎていては、調教が進まないからだ。そんなものは邪魔なだけである。奉仕の仕方や奴隷の作法を覚えられるだけの頭があれば、あとは豊かな乳や尻、感度のいいクリトリスや締まりのいいヴァギナの方がよほど大事であるという意見は根強いだろう。色狂いにしてしまえば、何をか況やである。
 しかし、奴隷を支配し調教する悦びを、もっと精神的なところに求める者ももちろんいた。確かに、教養深く誇り高い奴隷は扱いづらい。だが、だからこそ、そんな誇り高い女性の教養を嘲笑い、信念を踏みにじる。無力感を噛み締めさせて屈服させ、牝奴隷に下すことで、達成感や征服欲を満たすという性癖である。例えば、良家の夫人や未亡人などが、家の没落によって奴隷に身を堕とすことがある。そのような奴隷を購入するのは、この趣きの性癖を持つ飼い主たちであった。
 
 また、それよりも更に数は限られるが、奴隷に教養を求め、しかもそれを尊重する者もいる。自分の好みの女性を奴隷市場で購入して、その女性を牝としてではなく女性として貴婦人に仕立て上げるのである。いわば『マイ・フェア・レディ』や『プリティ・ウーマン』のようなことを、実際に行っている者もいた。
 粗野な女性を貴婦人に仕立て上げていくのは、牝奴隷の躾とはまったく正反対の向きである。このような主人に買われた女たちは、奴隷の身の上とはいえ、まだしも幸せであっただろう。しかしどちらも、男の理想をもって女性を作り替える行為であり、征服欲や支配欲を満たす為の玩具であるという本質に違いはなかった。

 もちろん、教養というものは、あまりにも漠然としていて、何と特定できるものではない。まして、後から意図的に身に付けるということは、とても難しい。もちろん、不可能ではないであろうが、映画のようにうまくいくはずもない。誰もがオードリー・ヘップバーンやジュリア・ロバーツであるわけがない。貴婦人になれるだけの素質や素養は、そう簡単に見つかるはずもなかった。
 だから、あかねのように、しっかりとした家庭環境と教育の元で育まれ、教養を身に付けていると思われる女性は、珍重された。希少価値があった。
 あかねが某金融機関から売却された額は8億円。これは、一般的な奴隷の相場からしても、滅多にない額である。つまりそれだけの価値を、この奴隷市場を運営するディーラーが、あかねに見込んだということであった。しかもそれは仕入れ値だった。ディーラーの元での品質検査や研修次第では、競売の初値は十億を超えて付けることもできるだろうし、競売中の熱気が高まれば、遙かに高い値段になることも見込めるだろう。それだけの価値が、あかねには見込まれていたのだった。
 
 そんな、男達の身勝手で歪んだ欲望を満たす為に、望まれて買われたなどとは、あかね自身は知るよしもなかった。そもそもあかね自身は、自分がそこまでの価値を見込まれたことは、知らされていなかった。ただ、あかねは自分の身を売ることで、実家の借金をかなり減らすことが出来ると、そう教えられて、契約書に判を突いたのだった。

 あかねがその価値を見込まれたのは、二月ほど前のことになる。




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Date:2009/06/20
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Thema:官能小説
Janre:アダルト

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