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闇の箱

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□ 『研修』 □

『研修』 07 ユーズド(7)

「これで、全部ね…」
 わたしは机の引き出しを開けて、中のものを床に出していました。
「うん。なんとかこの箱に入りそう」
 憂子ちゃんは、箱にそれを詰めていく係です。
「本はどうするの?」
 書棚には、けっこうな数の本が残っていました。
「それも、欲しいものは持って行ってよくて、あとは図書室ね。雑誌は、もらっておかないと捨てられてしまうわよ」
 「図書室の本って、だからあんなに趣味がばらばらなんだ…」
 わたしはクロゼットを開けました。一番最初に確認したのですが、もう一度、開けました。がらん、という音が本当に響きそうに、中にはなにもありませんでした。
「あのワンピースも、捨てられちゃったんだ…」
 衣服はすべて、先に処分されていました。
「服は、ご主人様のお目に留まるから…」
 憂子ちゃんが、手元に目を落としたまま言いました。
「あの柄好きだったの、可愛くて。それに、よく似合ってたから…不由実さんに」
「そうね。似合ってた」
「だから、ほしいなって、真っ先に思い浮かんだのが、あのワンピースだった」
「わたしも…」
「え」
「わたしも、ほしかったな」
 憂子ちゃんはそう言うと、わたしの方に顔を向けて微笑いました。仕方ないよって、言っているような、寂しい笑顔でした。

 わたしたちは、お部屋のお掃除をしていました。
 わたしたちの館には、わたしたちの身の回りのお世話をしてくれるメイドさんたちがいて、普段のお掃除やお洗濯は、その人たちがやってくれます。奴隷のくせにメイドを使っているのかと怒られる方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしたちご主人様の奴隷は、ご奉仕の技術を学んだりしながら、いつお召しがかかっても楽しんでいただけるように支度して待つのが、いわばお仕事です。この広いお屋敷の管理は、そんなわたしたちだけではとてもできないので、メイドさんたちがいてくれるのです。といっても、わたしたちにではなく、あくまでもご主人様にお仕えされているのです。ですから、メイドさんたちを顎で使うなんてことは、とんでもなくて、必要なときにお願いをして、助けていただくような気持ちでいます。わたしたちとメイドさんたち、ともにご主人様にお仕えする者同士とも言えますが、どちらが上か下かと言われたら、やはり奴隷であるわたしたちの方が下だと思います。けれどもメイドさんたちは、ご主人様の所有物であるわたしたちのお願いを、ご主人様の命と同じように聞いてくれます。意地悪されたことも無視されたこともなくて、わたしたちが申し訳ないと思うくらい、大事に扱ってくれます。けれどもそれは、ご主人様が大事にしてらっしゃる骨董や美術品を丁寧に扱うのと同じようなものです。お仕事だからです。心のなかで、わたしたちのことを蔑んでいるのか哀れんでいるのかは、わかりません…。
 とにかく、普通ならメイドさんたちがお掃除をしてくださるのですが、今日のこのお掃除は、いなくなった奴隷の部屋の片付けだけは、わたしたちがやることになっているのだそうです。


「もう使わない部屋だから、綺麗に片付けておきなさい。欲しいものがあれば、喧嘩せずにみんなで分けなさい」
 不意にご主人様がそう仰いました。
 昨日の晩、わたしと憂子ちゃんにご主人様のお召しがありました。わたしたちはふたりで一生懸命ご奉仕したので、ご主人様は満足してくださいました。それが済んだ後、ご主人様の大きなベッドで、三人で寄り添って微睡んでいたときのことです。
「え…」
「わかりました。ありがとうございます、ご主人様」
 わたしは間抜けな声を出して、ご主人様の顔を見つめてしまいましたが、憂子ちゃんは、にっこり笑ってご主人様に抱きついていました。

「形見分け、みたいなものよ」
「形見って…不由実さんは…」
 朝のご奉仕が済んで、ご主人様を送り出した後、ふたりで遅い朝食を取っていたときに、憂子ちゃんに昨晩のことを訊きました。憂子ちゃんは目玉焼きをつつきながら、お行儀悪くも、話してくれました。
「もちろん、そんな訳ないだろうけれど、同じことよ」
 憂子ちゃんは、ナプキンで口元をぬぐうと、戸惑うわたしの目を見てはっきりと言いました。
「わたしたちはもう、不由実さんに会うことは、永遠にないんだから」

 それは、いつかのわたしたちの先輩の誰かがやらせてほしいと言い出したことなのかもしれないし、ご主人様が気まぐれにお命じになったことなのかもしれません。けれども、憂子ちゃんがここに来たときには、既にそういうことになっていたと、話してくれました。
 いなくなった奴隷の部屋の片付けは、同じ奴隷がきれいに片付けること。残っている荷物は、みんなで話し合って、欲しいものがあればもらっていいこと。必要のないものは、すべて処分すること。
 わたしたち奴隷は、裸で、身一つで売られてきているので、本当の意味での私物は一切ありません。子供の頃に買ってもらったぬいぐるみも、友だちから誕生日プレゼントにもらったシャープペンも、お祖母ちゃんにもらったお守りも、そういうものはすべて、色々あってなくしてしまいました。
 ですが、わたしたちのご主人様は寛大な方で、奴隷であるわたしたちに、色々なものを買い与えてくれます。お洋服やアクセサリなど、ご主人様が気に入って、似合うと思ってプレゼントしてくださったものは、わたしたちの大事な宝物です。そのほかにも、実はお小遣いを毎月いただいていて、化粧品や本や文房具などは、そこから買っていいことになっています。もちろん、むやみに出歩ける訳はありませんから、主に使うのはインターネットの通信販売です。ただ、直接ではありません。わたしたちはこの館の住所を知らないし、クレジットカードも現金も持つことを許されてはいません。欲しいものを見つけた時には、買い物リストに書き込んで、メイドさんたちに渡すことになっています。そうして買ったものに応じて、お小遣いの残高が減らされていくことになっています。
 よそのお宅がどんなか詳しくは聞いたことがありませんが、奴隷としては破格の扱いなのだと思います。ご主人様が時折、ぼくは甘いからと自嘲するように笑ってらっしゃいますが、わたしたちにとってはとてもありがたいことです。
 そういうことになっているので、わたしたちは自分の部屋に、少しの私物を持つことが許されています。ですが、それはすべて、ご主人様に買っていただいたもので、広く言えばご主人様のものです。わたしたち自身がご主人様の所有物なのですから、物を持つことなんてできるはずもありません。そして、不由実さんがご主人様の奴隷でなくなった以上は、ご主人様に買っていただいた物を持っていけないのは、当然のことでした。
 そういった残されたものは、まさしく不由実さんの形見でした。ご主人様は何も仰いませんでしたが、わたしたちにそれを整理させることで、不由実さんのことを偲ぶ時間を与えてくださったのではないでしょうか。あるいは、もう戻っては来ないと、わたしたちに諦めさせるための時間なのかもしれませんが。


「ベッドの下とか、何もないかな」
「あ、うん」
 わたしは、身体を曲げて床に付けて、ベッドの下を覗き込みました。暗くてよく見えなかったけれど、奥の方に何か紙のようなものがあるのがわかりました。
「ん…しょっと」
 手を伸ばして取ったそれは、一葉の封筒でした。表書きには
「みんなへ…だって」
「え…」
 わたしは思わず息を飲みました。憂子ちゃんもわたしの方に近づいてきて、手の中の封筒を覗き込みます。白い無地の封筒は封をされていて、他には何も書かれていませんでした。
「貸して」
 憂子ちゃんは、わたしの横に座り、わたしの手から封筒を取り上げました。封を破り逆さまにすると、便箋が一枚、落ちてきました。折りたたまれた便箋を開く憂子ちゃんの手が、すこし震えているのがわかりました。便箋には、数行の言葉が、綴られていました。
「ルール違反だよ…不由実さん…」
 憂子ちゃんは、手紙を握りしめてぽつりと呟きました。
「冬じゃなくて、春だったんだね」
 わたしは、憂子ちゃんの言葉に応えられず、そうとしか言えませんでした。
「ご主人様の、考えることだもの…」
 手紙の最後には、不由実さんの署名がありました。ううん、不由実さんじゃない。お姉さんの、本当の名前が。
「暖かい、優しい名前ね…」
「不由実さんよ。わたしたちが知っているのは!」
 憂子ちゃんが、わたしの言葉を打ち消すように強く、震える声で言いました。
「わたしたちの、わたしたちと同じご主人様の…ど…れい…だったのは、井上春佳なんて人じゃなくて、不由実さんなんだから!」
 憂子ちゃんが、涙混じりの声を詰まらせながら、言い放ちました。
「うん…」
 わたしは、憂子ちゃんの手に手を重ねて、憂子ちゃんに身体を預けて、目をつむりました。わたしは、ここにいるから。手に、冷たいものが当たりました。


 わたしたちは、ご主人様の奴隷として買われたときに、新しい名前を付けていただきました。
 自分のものに、名前を付ける人がいます。わたしも子供の頃から持っていたぬいぐるみには名前をつけていましたし、愛用のバイオリンに名前を付けて、今日はゴキゲンが悪いとか言っていた友だちもいました。大切な物には、名前を付けて、他のものとは違くしたい。いえ、違うから名前を付けたい。名前は、愛情の現れなのだと思います。わたしたちがご主人様から名前を授かったのは、それだけご主人様の愛が深いということなのだと、今では思っています。
 でもそれは、それまでの名前を捨てられたということでもあります。
 名前を付けても、道具は何もいいません。犬や猫は、そもそも名前を持っていません。けれどもわたしたちにはもちろん、名前がありました。お父さんとお母さんが、産まれたときに付けてくれた名前が。そして、お父さんやお祖父ちゃんたちと同じ名字がありました。もちろんわたしはそれを覚えています。けれども、もうその名前でわたしを呼んでくれる人は、誰もいません。
 もちろん、最初は抵抗がありましたが、不由実お姉さんや憂子ちゃんたちに諭されて、ご主人様に優しく香子と呼ばれ続けると、いつしか気にならなくなっていました。わたしは、わたしのことをみくと呼ぶ人がいなくなった時に、ただの奴隷の香子になったのだと思います。今のわたしには、名字はありません。どこの家の子でもなく、誰の子供でもないただの香子、それがわたしです。ご主人様の奴隷の、香子です。
 ご主人様の所有物であり、ご主人様が与えてくださったもの以外はなにひとつ持つことがないわたしたちは、ご主人様が付けてくださった名前が自分の名前でした。それ以外の、人間であった頃の名前で呼ぶことは、ありませんでした。それが、わたしたちの館のルールでした。
 憂子ちゃんは、だから怒っているのでしょう。不由実さんが、憂子ちゃんよりも長くこの館にいて、わたしたちを憂子ちゃん香子ちゃんと可愛がってくれたくれた不由実さんが、憂子ちゃんやわたしに、この館でご主人様の奴隷として生きることを教えてくれた不由実さんが、最後の最後で、人間であった頃の本当の名前で手紙をくれたこと。そのことが、哀しくて悔しくてどこか羨ましくもあって辛くて、だから、泣きそうになりながら怒っているのでしょう。わたしは、不由実さんとそう長くいれた訳ではないけれど、憂子ちゃんの気持ちは、痛いほどわかりきました。

 わたしたちはそのまましばらく、ふたりで寄り添って泣いていました。秋の短い日が落ちる頃になり、夕陽が目を差すようになると、憂子ちゃんがわたしの手をほどきました。
「さ、行きましょ」
「もう…いいの?」
「ご主人様がお帰りになる前に、この荷物をみんなに見せないといけないわ」
 不由実さんの私物を入れた箱を持って、憂子ちゃんは立ち上がりました。その声には、もう涙は滲んでいませんでした。
「これは…?」
 わたしは、憂子ちゃんの手の中から落ちた手紙を、拾い上げて示しました。
「それは…わたしの知らない人からの手紙よ」
 箱を持って、わたしに背を向けて扉の前に立った憂子ちゃんのその声は、もう震えてはいなかったけれど、冷たく聞こえるように、わざと感情を押し殺そうとしていました。
「いらないなら…もらってもいい?」
 わたしは思わず、そう言っていました。
「…いいんじゃない。この部屋のもので欲しいものがあれば、持って行っていいって、ご主人様は仰っていたわ…」
「うん、でもそれはみんなで話し合ってのことでしょ」
 憂子ちゃんの方が欲しいなら…、そういう意味を込めて、わたしは言いました。
「わたしはいらないし、みんなもいらないと思うから、香子ちゃんが欲しいなら、持って行けばいいと思うわ」
「じゃあ、わたしがもらうね。わたしが…とっておくから」
「うん…とっておいて」
 憂子ちゃんは、ドアを開けました。

 わたしは、箱を広間に持っていく憂子ちゃんと別れて、一度、自分の部屋に戻りました。日が落ちかけて薄暗くなった部屋の中でもう一度その手紙を読んで、それから封筒にしまい直して、机の引き出しに入れました。

 その後、不由実さんとは、二度と会いませんでした。
 いえ、本当は一度だけ、ご主人様に連れられていったパーティーで、B様に伴われていた不由実さんを遠くから見かけたことがあります。
 不由実さん、いや春佳さんは、また別の名前で呼ばれていて、わたしたちのようなドレスも着せてもらっていなくて、裸に首輪だけの姿で、四つん這いで歩いていました。
 その時わたしは、不由実さんの手紙の言葉と、憂子ちゃんの哀しみの意味、そして未だ見ぬ自分の未来を思い出したような気分になりました。


『みんなへ

 この手紙が開かれるとき、誰がまだ居るのか、もういないのかはわかりませんが、私のことを覚えていてくれるひとが読んでくれることを願って書いています。
 ありがとう。
 私は、ご主人様の元に買われて、みんなと会えて、幸せでした。

                        不由実
                           井上春佳』




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Date:2009/10/23
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Thema:官能小説
Janre:アダルト

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