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闇の箱

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□ 『研修』 □

『研修』 08 リペア(14)

 それから少女の研修には毎日、男に犯される時間が加わった。男のペニスをヴァギナに受け入れて奉仕する時間といった方が正確であろうか。少女にとって久しぶりのペニス、それも百戦錬磨の男の肉棒は、凶悪なバイブに勝るとも劣らぬ激しさで少女を攻めた。しかし、それに酔って少女がひとりでイッてしまうと、男に厳しく叱責された。簡単に気をやってしまい、奉仕することを忘れるようでは奴隷失格であると。牝奴隷の躯はすべて主人の為にあるのだから、主人に使っていただける時は精一杯、主人を気持ち良くすることに勤めるべし。膣を絞めることはもちろん、頭を使って全身を使って主人に奉仕せねばならない。ひとりだけ気をやって果てている暇などないと。
 しかし、何遍叱られても、責め尽くされて敏感になっている躯の反応を抑えることは難しく、男の言う通りにはなかなか出来るものではなかった。懇願して抽送のペースを緩めてもらってようやく、痺れた腰に力を入れたり、豊かな胸を押しつけたり、自分で動くことを思い出すような有様だった。

 実を言えば、少女が自分の快感を完璧に抑え込み、主人がイクまではイかないなどという流行歌のような真似ができるようになるとは、男は思っていなかった。実のところ、完璧に出来るようになる必要はなかったのである。実際に、奴隷が使われる現場の様子を想像すれば、不可解に思われた方も納得するだろう。
 主人が良いと言うまで気をやらず、脱力したり眠り込んだりもせず、主人が満足するまで際限なく奉仕し、主人が果ててからやっと自分もイく。そんな奴隷は欲しいだろうか。確かに、忠実に仕えてくれて、望むままに奉仕をしてくれる奴隷は、男の夢であろう。けれどもセックスの楽しみは、一方的に奉仕されることばかりではない。相手に快感を与えて絶頂に導くのも、大きな満足を自分に与えてくれるはずである。セックスが双方向のコミュニケーションと言われる所以である。但しここで、主人なのに奴隷に尽くして気持ち良くしてやるのかなどと見ると、話がおかしくなる。主人は奴隷に奉仕しているのではなく、奴隷を攻めて征服しているのである。相手を絶頂に導き、脱力させて無防備にして屈服させることでも、主人は達成感と満足感を得るのだ。それなのに、相手が全くイかないのでは、達成感どころではない。そしてまた、自分が相手をイかせられないのに、相手が自分を必ずイかせてくれるとしよう。それはまるで釈迦の掌にいるようなものである。母や姉の胸に抱かれているのに近いかもしれない。それは肉体的な快感や満足は確かに得られるだろうが、男としては強い不快感を溜め込むことになるだろう。主人を満足させるどころか、不快な思いをさせ嫌われてしまっては、奴隷として買われた意味がないというものである。
 だからといって、素直に感じていればいいというものでもない。例えば、殊の外敏感で、性感帯以外でも少し攻められるとすぐにイッてしまう奴隷がいたとしよう。それはまるで突けば崩れる脆い石垣の城ようなもので、歴戦の武将にとっては攻略するのは容易である。主人は赤子の手を捻るように容易く屈服させることができるだろう。簡単すぎて、一日のうちに何回イかせられるか試すような趣向で楽しむかも知れないし、鍛えるという名目でイくのを我慢させ、罰を与えて苦しませるのも楽しいだろう。主人というのはそもそもが奴隷を飼おうというような人間である。自分に歯向かうことのない奴隷、弱い者を相手にして手軽に屈服させ、達成感を味わうことを至上の喜びとする性癖であったり、永続的に屈辱を与え続けて悦に入るような趣味を持つ者もいる。特にそのような主人に飼われたなら、奴隷は責め続けられ、末永く可愛がられるかもしれない。その奴隷にとっては過酷な日々だろうが。
 しかし、あまりにも一方的に果てられてばかりでは、奉仕させることもできはしない。また、何をしても簡単にイッてしまうのでは、趣向を凝らしても不完全燃焼のまま終わってしまうだろう。そのうちに手をかける意味もないと見なされたらお終いである。拘束器具で壁に固定されて放置され、凶悪な淫具に身を委ねさせられて、イき続ける様を鑑賞された例もある。その奴隷はそのまま狂って息絶えたそうである。
 少し考えを働かせてみれば、このような場面は容易に想像できるだろう。奴隷は、主人の望みを叶えて満足させることが存在意義である。主人が奉仕を望むときには奉仕し、攻めたいという意向の時には甘んじて受け、抵抗してはならないが耐久しなくてはならない。泡を吹いて気を失うほど激しく乱れて気をやることを見たいと望まれたなら、その通りにしてみせなくてはならない。飼われる主人の性癖によって、どんな対応が望まれるかがくっきりと分かれていればいいのだが、そんなことはない。ひとりの主人が、日によって気分によっていくらでも無茶を命じる。奴隷はそれに応えねばならないのだ。

 だから、男が少女に求めているものは、どれかひとつの完璧な対応ではない。常に主人の考えを慮り、主人の望みを察し、主人の意向に適うように動く。主人のために心を尽くし、躯を駆使して楽しんでもらうことを忘れない。どんな主人に買われても、主人がどんな気分の時でも、対応できる柔軟性こそ最も奴隷に必要な資質なのである。男はそれを鍛えるために、様々であり一様に過酷な調教を少女に施しているのである。今の少女にとっては、男にされていることは拷問にも等しく、地獄の責め苦のように感じることだろう。絶頂と失神を繰り返し味わわされ、本当に逝きそうに思ったことも一度や二度ではきくまい。しかし、この調教が単なる男の慰みではなく、少女が生きるために必要な「研修」であったことは、次の主人に仕える中で、どこかで必ず解るはずである。
 理不尽きわまりない過酷な運命であるが、それが人を辞めた奴隷の生きる術である。奴隷の義務は、奴隷自身のためでもある。より良く主人に仕え、主人の意向に適うように振る舞い、主人に気に入られることで、末永く主人に飼ってもらえる。奴隷の生殺与奪の権利は、その主人の胸先三寸だから、飽きられたり嫌われたなら、どうなるかわからない。捨てられようと売られようとも文句は言えない。生きていることが価値になるところばかりではない。主人を楽しませていればこそ、それがどれだけ過酷な日々であったとしても、生きていられるのだ。その為に必要な心性や技能を、奴隷に身に着けさせるのが、このオークションハウスの研修の目的なのである。





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Date:2010/10/09
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Thema:官能小説
Janre:アダルト

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